すべてのファンタジーは翻訳されている(微7.5ネタバレ)
「指輪物語」の作者トールキンは言語学者で、エルフの言葉すら創造したのは有名な話である。逆にいえば、そこまでしなければ全くの別世界を創り出すのは難しいということになる。
ファンタジーなのに日本のことわざが通じたり、農奴がいなかったりする。そんなマンガや小説もあるかもしれない。

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ル=グィンはエッセイにおいて「異世界であろうとも、現実の田舎町ポキープシを舞台にしても差し支えなければ、それはハイファンタジーとはいえない」(意訳)と語った。
そんなわけで、アストルティアのまごゼニス様の言動を振り返ってみよう。
他にも「チョベリグ」とか言っていたはずなので、なぜ何千年も生きていそうなグランゼニスが、たかだか十年くらい前の平成の言葉遣いをしているのかは謎のままである。これなら、源氏物語のほうがよほど異世界ではないか。
とはいえ、まごゼニスが「春はあけぼの」とか言い出しても、通訳が必要になるだけであるので、古さを演出するにはこうするしかなかっただろう。
なぜかアストルティアの文字は日本語の50音と対になっていたりするのだが、それも方便の一つだ。全くの異世界とするなら、グランゼニスの言葉遣いもかなり古かったはずで(それこそ、平安時代より前になる)我々がプレイしているドラゴンクエスト10は、それを現代の日本人向けにわかりやすく翻訳した物語である――と考えることもできる。
中学校にいた頃、先生が「メディア」について説明してくれた。媒体のことであり、たとえば桃太郎の話が童話になったりアニメになったり紙芝居になったりする、その「童話」とか「アニメ」が媒体、メディアである。何かを伝える道具のことだ。
あ、深く考えなくていいです。
そんなわけで、メディアによって翻案や希釈される前の、原液のようなアストルティアの物語がどこかにあって、私たちはそれをゲームの形態で摂取している、というのもなかなか面白いんじゃないでしょうか。
おわりです。
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