アクションゲームといったら「スーパーマリオブラザーズ」でしょう。
— よしざわひでお (@yoshi_clonoa) October 28, 2017
ピーチ姫がクッパにさらわれた! 助けて! マリオ!
こうしてクッパは倒され、無事ピーチ姫は助かりました。めでたし、めでたし。
ストーリーなんて誰もがそんなもんだろうと思っているアクションゲーム。
マリオはお姫様を助けて、めでたしめでたし。未プレイではあるが、風のクロノアの物語はそれよりもかなりひねってある、らしい。
TRPGの初期は、ダンジョンに潜ってお宝を洗いざらいかっさらっていくスタイルだったという。徐々に、ダイスを振って判定をして罠を回避しモンスターを倒すだけから、相手の態度にもダイスロールをしたりスリ技能を使ったりと、暴力だけでは解決しない問題を扱うようにもなっていった。
一応ドラゴンクエストに関するブログなので、言及しておきたい。ドラクエも1はローラ姫を助け、竜王を倒してめでたしめでたし、という終わり方だった。明確な変化が現れたのはドラクエ4からだろうか。人間のせいでラスボスの恋人がひどい目に遭ったので、復讐しようとしているのを勇者らは止めることになる。一応ネタバレはしないでおく。
ゲームにおいて、ストーリーはどれほどの要素を占めるべきか? まるでADVに挑戦するような物の言い方ではある。「さあ、全ての地雷を見つけ出してください。もし失敗したら、残った地雷がまた誰かを傷つけるかもしれませんよ」でも良いのだが、あれはただの頭脳ゲームなので……
宮本茂様もマリオのストーリーを気にかけてはいらっしゃるようで「スーパーマリオオデッセイ」では、ピーチ姫を助けたマリオと、倒されたばかりのクッパが共にピーチ姫に花束を差し出して「どうか!」となるが、ピーチ姫は両者を振って終わる。
サブ主人公でもある、マリオの帽子になるキャッピーの目的は妹を助けるためであり、別に恋人でも何でもない。この点、まだ兄弟愛や家族愛は「姫を救う」より説得力を持っているのだろう。
さらには、マリオオデッセイにおけるステージの一つ、都市の国にて、市長のポリーンが第二のヒロインのような立ち位置で登場するのは注目に値する。キャッピーの妹も帽子なので(正確にはピーチ姫のティアラになっている)ヒロイン味が薄く、人間の姿をしたもう一人が必要になったのだろう。
さて、私たちはゲームシステムもストーリーも語らずにはいられない。数あるゲーム賞の中に「ストーリードリブン賞」や「ベストナラティブ賞」があるのが証左だ。
私は、結論をどのように申し上げるべきか考えている。例として挙げるのは「大学の研究で恋愛をテーマにしてはいけない」という一つの意見だ。なぜなら、恋愛ほど千差万別で、一人一人異なるものはないからである。そのように、ゲームもまた作り手も受け手も考え方が違う。強制する権利もされる権利もない。
そう、強制する権利なんてないんで、私は某ゲームのヒロインは全人類のために死んでもらいたいと思っています。なんかごめんなさい。
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