もう蛙が怖くてたまらない

言葉の能力を発達させた人類は、地球に繁栄できた。アフリカにいる猛獣の、ライオンや、草食とはいえサイやカバの脅威があると、大声を張り上げることもなく周知徹底ができたからだ。

反面、たとえ実際の脅威があらずとも、言葉によって怖がる性質を持つことにも繋がってしまった。怪談であり、恐怖小説である。

身近に似たような危険な対象があらば、たとえば猛犬、たとえば事故、たとえば危ない人……恐怖は、より迫真性を持つ。時には、読んでいられないくらいになるまでの。

私にとって「ど根性ガエルの娘」は、他人事ではなかった。


  1. 私が子供の頃、両親が喧嘩をし、ヒートアップすると、父は酒を飲んでいたにもかかわらず、ドライブに出かけてしまった。子供心に、私は「事故を起こして、父はもう帰ってこないんだ」と、何度も怖くなった。
  2. ドライブインシアター。駐車場のようになっており、車で乗り入れ、目の前の大スクリーンの映像を、ラジオをチューニングして音声に合わせ、鑑賞するスタイルだ。私は、父とそこに行った。父は、缶ビールを持ってきていたので、私は父からそれを取り上げ、飲ませないようにした。2時間。映画が終わるまで。映画のタイトルは「コンタクト」で、ジョディ・フォスター主演だった。
  3. 兄が大学受験に失敗し、父に「自衛隊にでも入れ」と言われていた。兄は、自分の部屋に逃げ込んだ。兄の部屋は、茶の間とインターホンで繋がっていたので(どうやら、こんな家は私の家だけらしい)、父は、インターホンの呼び出しボタンをテープで固定して、兄の部屋で、大きなブザー音が鳴り続けるようにした。その時も父は酔っていた。父は、私に「こんな兄貴、殴っていいから」と、兄の目の前で言った。
  4. 某集会。子供と、指導役の大人しかいない状況だった。暴力が起こりやすい状況で、やはり起こった。だが、この件は先方と話し合ったので、公にはしたくない。たとえ、私が一生がた苦しむにしても。その後、幼稚園児だった私は「もう、集会に行きたくない」と言ったが、さぼっていると思われた。
  5. 小学校で、他のクラスメイト全員からいじめられた。どういうわけか、みな冗談で「◯◯(私の名前)をいじめよう」と言っており、お人好しだった私が「いいよ」と言ってしまったので、お昼休み、クラスメイト全員からどつかれて、どつかれ回された。
  6. みなで遊ぼうというクラブが、学校にあった。私は、三年生か四年生だった。六年生の男子、その中でも特に体格が大きく、粗暴な男子がいた。私は壁際に立たされ、男子はお手玉を投げつけた。男子は、最初から外すつもりだったらしいが、避けようとした私は、顔面にお手玉を食らった。私は泣き叫んだ。
  7. 6がきっかけで不登校になった。しかし、母親は泣き叫ぶ私の手を、肩や肘が脱臼するんじゃないかというくらいの勢いで引っ張り、無理矢理車に乗せ、学校に連行した。
  8. 祖母に、家の金を盗むよう命令されていた。金庫を開けさせられ、祖母は中にあった金を取った。そして、私への小遣いとして与えた。その金は、父が、祖父母の葬式のためにとっておいた資金だった。
  9. 祖母は、私に際限なく小遣いを与えた。小学生ながら、月に三万円ぐらいもらっていたこともある。自分でヤバいと気づけたので、途中から自制するようになった。もし、それだけの頭がなかったらと思うと、ゾッとする。
  10. 私は、明日の学校の用意を自分でしたことがなかった。鉛筆、消しゴム、体育着、全部。小学校1年生から、中学校で不登校になるまで、ずっと祖母がランドセルの中身や鞄を準備してしまい、私が「やめて」と言っても、やめてくれなかった。やはり、自分でヤバイと気づけていなかったら、恐ろしいことになっていた。
  11. あまりに祖母が過保護かつ過干渉なので、私はつい「バカ!」と言ってしまった。そしたら、その場にいた、事情を知らない兄は私をぶった。
  12. 私は、歯を磨いたり、髪の毛を洗ったり、という教育を受けたことがなかった。だから、小さい頃は乳歯は全部虫歯で、歯茎は膿み、頭はいつもフケだらけで臭かった。体育着を持ち帰ることも知らなかった。
  13. 私の家は祖父だけ別居していたが、私が15歳の頃、高齢という理由もあって同居するようになった。祖父は、それから2年間ぐらい、死ぬまでずっと、私と祖母を虐待しつづけた。父と母がいる時は、祖父は怒鳴ったりせず、大人しくしていた。
  14. 父と母は、13にある、祖父の虐待を知りながら放置していた。一度、母が家にいる時に祖父が怒鳴ったので、私は我慢できなくなり「やめろ!」と大声を出したことがある。母は一度、私だけを連れてファミレスに連れていった。でも、一度だけで、家に帰された。それからずっと、私は祖父が死ぬまで、虐待されつづけた。驚くことは、そんな母は教育関係の仕事に従事しているということだった。今も、ずっと。
  15. 小学校の修学旅行の最終日で、学校に帰る日だったので、よく憶えている。学校に着いた後はそれぞれ帰ることになっていたので、私は一人で家まで歩いていた。後ろから、フライパンで後頭部を殴られた。それは、私にちょっかいを出している下級生だった。私は、なんとか倒れずに済んだが、その子は「お、耐えた」と言った。あの時、死んでおけば良かったと思う。そうすれば事件になっていたし、私もこれほどには苦しまなかったと思う。
  16. 剣道の先生は、子供によく体罰をした。剣道に対する敬意が感じられないやり方だった。子供に、何か指導すべき点を見つけると、その先生は竹刀を投げつけた。竹刀で叩くのもやったが、竹刀を投げつけることもよくした。そして、それを見ていたママさんたちは、止めもしなかった。また、先生は試合で負けた私たちに「負けて当たり前だ」と言った。そういう面もあったかもしれないが、人間性と合わせて考えたら、どうだろうか。
  17. 予備校で性的いやがらせを受けた。親に、勇気を出して相談した。そしたら家族会議みたいになったけど、父はやっぱり酒を飲んでいた。そして、父は私に「そいつが好きなんか」と言った。そうじゃないんだ。
  18. アメリカにホームステイしていた時、性的いやがらせを受けた。
  19. 生まれてからずっと、汚部屋ならぬ、汚家に暮らしている。母が片づけられない人だから、今も、私の部屋以外は全て汚部屋だ。
  20. 祖母の過保護や過干渉に嫌気が差し、私は母ばかりに甘えるようになった。そしたら、祖母は泣き落としをし「〇〇ちゃんがかまってくれない」と言うようになったので、私は我慢せざるを得なくなった。
  21. 父と母の性行為を目撃してしまった。大人になってから「嫌だった」と言ったが、母は「あんたが結婚していないからで、よくあること」という理由でごまかした。
  22. 父は、かつて飼っていたペットの犬を、蹴って虐待していた。その犬は、ちょっとしだ段差も越えられないくらい、臆病な犬になった。
  23. とある集会(上記とは別)で、オーストラリアへのホームステイが計画され、私は行った。その後、感想文を書いて、発表することになっていた。発表会の日、私は風邪で寝込んでいたのに、母は無理矢理行かせた。
  24. 両親は、これらの全てを、私の感じ過ぎ、私の気にしすぎという言葉で片づけている。
たまに、怒りが高じて、こういうことを書いてしまう。書かなければ、自分を傷つけそうになってしまう。書ききれないので、これくらにしておく。

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