たぶん東欧かソビエトの珍発明か超兵器

マッコウクジラの巨体に一対の車輪をつけたようだった。時代遅れの外輪船のようにも見えた。

人物と呼べるかどうかも疑わしい存在は、草原で目覚めるのだった。安楽椅子とテーブルさえあれば理想郷にも映るであろうそこは、しかし色という色もあまりない灰色に近い世界で、そこに一人だけだった。その存在が、一人と呼びうるのであれば。

それは、棒の上にある、白人の女が朱を入れたような色合いの郵便受けの横を通り、そのマッコウクジラに近づいた。外輪の中心部は本体との接続の他に窓も兼ねており、内部には明るい緑色の液体がたゆたっていた。

巨体の前後にはウィンチと、乗降するためのスロープ。もともと小柄だったその人物は、手足を忙しく動かし、間違いなく移動するためであろう巨体へと入り込んだ。通路を行き、部屋に入った。子供、特に男の子であれば手放しで喜ぶであろう多数の機器、メーター、スイッチ、もしもの火災を止めるための消火栓。それらは目立つ赤色に塗装してあり、その人物の服装の色とも合致していた。あるいは、巨体の頭脳になるべきその人物のほうが付属物なのかもしれなかったが。

その人物は〈ENERGY〉表記の近くにある、横向きの最も大きいスイッチを押した。機械の中の機械といった音がして、緑色の液体の下方から巨体に相応しいげっぷの泡が吹き出した。そして、その機械は移動を開始した。

最初の関門は、湿地であった。爆弾の解体に臨む処理班が赤か青かのコードを選ぶような気持ちで、巨体は突入していった。ダイレクトな下からの衝撃は、操縦者の快適性を顧みてはいなかった。

幸いにも、外輪が飲み込まれることはなかった。ここには、後部に泥を跳ね飛ばして迷惑をかけるような後続はいないし、ましてやそれほどの速度も出ないのだった。どんどんタンク内の緑色の液体は減少していく。そのぶん、巨体は突き進んでいく。

その人物の真上にある、切り分けたバームクーヘン型のメーターが赤く光った。見上げてみると〈STEAM〉が限界に近づいている。慌ててボタンを押し、圧力を逃した。そう遠くない場所に、もうもうと白い熱い靄がたっていく。

その人物は熱に耐えつつ、再びエネルギーを注ぎ込むボタンを押した。

コンクリート製である三本足の土台に、クレーンが屹立していた。足と足の間は、ちょうど進みゆくこの巨体を飲み込むような位置だ。ブレーキもまたボタン操作で行うが、外輪についているディスクを挟むような機構ではなく、ただストッパーを下ろすだけである。あたかも、ブランコをこいでいる子供が足を地面につけるように。

色のない世界で、巨体を内包した土台つきクレーンは、さながら実在する蜃気楼か、影より濃い影のような主体だった。巨体の頭脳のような小間使いのようなその人物は、わずかな柵だけがある内部のエレベーターに乗り込み、巨体の外に出た。さながら、クジラが潮吹きをするような位置に出現する。

ちょこまかと動き、その人物はクレーンの操縦席へ向かった。やはり、人の手が触れる部分は目立つよう赤で塗装してある。スイッチを押すだけで、クレーンの先端からワイヤーが垂れていった。

その先に吊り下がっていたものは、生物に見えなくもなかった。ここまでの移動に使用していた機械が、主に動くことで生物のように見えていたならば、こちらは、その柔らかさによって生物のように見せていた。

何本かの柱による、下向きのジョイント部。その上にやはり赤いスイッチと、スイッチを押すべき人物が乗るための台。ジョイント部にある柱のうち最も太いものは、そのまま台を突き抜け上に伸びていた。しかし、機械的な関節によって(外輪巨体の進行方向が前ならば)後ろへと、その柱は寝ていた。そこに、生物的に見せている、あるいは見せかけているものがあった。布だ。

灰色に煙った布。あるいは房のようであったかもしれないが、たるんでいるだけである。関節によって曲がっている柱。だが、これをまっすぐにすれば……。

外輪巨体には、風を読むための赤い旗もついていた。今は追い風を示していた。ジョイントが繋がり、注射の痛みによってうめくように外輪巨体が少しきしんだ。

その人物は急ぎクレーンの操縦席から降りると、外輪巨体の表皮に飛び乗った。接続したばかりのそれへと急ぎ、指を舐め、かざすのも忘れてスイッチを押した。帆が目覚めた。

順風満帆とはいかなかった。風をはらんだ三枚の帆は、示し合わせたように穴が開いていたからだ。大きいのは一つだったが、わずかな傷を合わせれば数えきれない。白くもない。ねずみの色。

それでも、貴重な燃料を消費することなく外輪巨体は風を受け、進みだした。自動的に帆を固定するストッパーが出る。しばらく、その人物は追い風と、目の前の景色が連続的にぶつかりあっていくさまで板挟みになった。

どこまで行こうとも、くすんだ色合いには変わりなかった。そう起伏がある土地でもなく、トラブルも起こらない。空はずっと曇っていて、いつ降り出すかもわからない。だが、まだ降り出してはいなかった。

濃霧とも煙ともつかないものを外輪巨体はかき分けてくぐっていくようだ。その中に、少し濃い何かが見え隠れしはじめる。風力で進んでいくうちに、輪郭が露になっていく。まるで画家の手さばきを早回しにしているようだ。下書きから現実の存在になっていく。とうとう、現実のものになる。水の中にないコンテナ船に。

錆つき、その茶色すらも灰色の中に覆い隠されていた。周囲には、まるでコンテナが入った菓子袋を巨人が乱暴に開けたように、中身が詰まったそれらが散らばっていた。外輪巨体は操舵できず、進むことしかできない。

幸い、進行方向にコンテナ船はなかった。それでも、幾度となく散らばったコンテナを踏んづけたり、外輪と外輪の間を抜けたりしていった。腹をこすってしまい、双方に傷ができたりもした。だが、コンテナを気にする人間はいなかった。一人も。

陸のサルガッソーのようでもあった。コンテナと、どちらの散らばりようが上か、船が競っているようでもあった。点々と船があり、傾いたり横倒しになったりしている間を、外輪巨体は進んでいく。目的があるかもわからず。

時折、その人物は足元を見下ろす必要があった。自分ではなく、機械のほうだ。目的のものを発見すると、エレベーターを使って急いでエンジンルームに降り、ブレーキのボタンを押した。地面を引っかき、船の墓場でそれは止まった。

轍の他に、ストッパーが地面を引っかいていた。腹の傷を気にしつつ、その人物はだいぶ過ぎ去ってしまった目的物を手にするため走った。

打ち捨てられているそれは、木箱のように見えた。ドラム缶のようなものも転がっている。その人物は、まず木箱から運び入れた。エンジンルームの後方には、エレベーターを挟んでもう一つ、モノを運ぶための移動台がある。そばにはスイッチ。

ドラム缶も運び入れると、まず木箱から台に載せ、スイッチを押した。食らうような勢いで台が持ち上がり、視界から消える。下りてくると、もう木箱はなかった。天井を這いまわるパイプが明るい緑色の光り、その輝きはタンクへ向かっていく。半分以上も消えていたタンクが満ちた。

さらに進んでいくと、谷に出くわした。此岸と彼岸には、番人のように死んだ船がいる。橋渡し。金属製の橋が両岸を繋いでいた。谷にも通るものがあるのか両端には橋を上下させるための機械。生物がいるとしたら、この谷だけかもしれない。近づいてみると、この橋もまた風化と錆からは逃れられていないとわかる。

その人物はブレーキのボタンを押して機械を止めた。ゆっくりと降りていき、突端から見下ろす。底は見えないか、霧が流れている。橋そのものは下方にあるので、運良く機械が降りられたとしても、再び上がれはしないだろう。

本来の用途としては、何を渡らせようとしていたのか。機械が通れる幅と頑丈さを持つ橋の下には、もう一本、似たような、いや、みすぼらしさを何倍にもして、木製にしたそれがあった。その人物が決断は素早かった。

人間が使うような梯子があった。踏み間違えたり、手が滑ったりすれば霧の中に消えてしまうような高所を、その人物は降りていった。地面に激突して死ねればまだいいほうで、最悪のケースは霧の中をずっと落ちつづけることだった。足が木の板に触れ、きしんだ。

上には金属板が葺いてあるが、煙った太陽が見え隠れしているからには穴ないし隙間だらけだとわかる。こちらも同様で、踏み抜く危険性がないわけではなかった。それでも、なるべく下を見ないようにして走った。

板が途切れている箇所では立ち止まり、戻り、助走をつけて跳んだ。弧を描いている最中は向こう側につくことばかり考えていて、肝が冷えたのは足の裏にしっかりとした硬さが現れてからだった。そうやって、その人物は渡った。

梯子を上がる。上の、さらに上へ。風が強くなっていく。やっと、橋を上げ下げするための小部屋に到着した。錆びの臭いが殊更きつくなったようだ。ここにあるのも、やはり赤いボタン、赤いスイッチだった。同じ作り手によるものとしか思えない。

その人物は、自らの姿を確認する。小さい体。まとっているのは赤い衣。あの巨体を操作するのに都合の良い大きさ……。

小部屋には窓があり、外にある車輪が見えた。ワイヤーによって操作するのだ。スイッチを押すと、悲鳴のようなきしみと共に橋は下りるのだった。

まさか勝手にどこかへ行くわけでもあるまいに、その人物は焦りながら戻った。そこで待っていた。

乗り込み、スイッチを押した。ごぼっ。タンクの燃料が消費されはじめたことを示す、泡のげっぷ。そして、新しくできた道を進みゆく、陸のクジラ。

つづく
(二次創作です)

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