【長】完結したベルセルクみたいな【回想】

HDDの交換をしましたので、中にあるアプリケーションやゲームを丸ごと再インストールすることになりました。いまだに終わっていないので、放置気味だった本をその時間を利用して読みました。
二人羽織の後ろのほうは「妻を帽子とまちがえた男」で、著者はオリバー・サックス。「レナードの朝」の原作を書いた人、といえば「ああ!」となると思います。

サックスは神経科医です。「レナードの朝」は、嗜眠性脳炎によって、長い間昏睡状態にあった患者に新薬「L-DOPA」を投与し、劇的な効果をあげたという内容です。こう書くと美談みたいですが、脳の疾患だけあって様々な副作用も起きてしまいます。言葉が止まらなくなった患者や、動作が緩慢ないし急速になった患者。そして、再び昏睡になるしかなかった患者。

サックス医師に通底しているのは、病をその人の「できもの」とは見ずに、一部としている点です。また、哲学や文学に造詣が深いので、思いもよらない比喩や表現が登場します。これが、普通の症例報告とは異なる点です。

論文ならば、二つの意味にとれる言葉や余計な装飾など入ってはいけませんが「レナードの朝」は学術というより、むしろドキュメンタリーやノンフィクションです。

この記事の最初のほうに「いまだに終わっていないので、放置気味だった本をその時間を利用して読みました。」という一文がありますが、最初は「いまだに終わっていないので、その時間を利用して放置気味だった本を読みました」でした。

違いは「いまだに終わっていないので、その時間を利用して」という文です。改める前は「その時間を利用して放置している」とも受け取れてしまいます。

そして、こちら「妻を帽子とまちがえた男」です。これには、嗜眠性脳炎のような一律の病気ではありませんが、やはり脳に疾患を抱えた人たちが書かれています。

私たちは人の顔を、目や鼻の形や位置による一塊と考え、その人だと判別します。しかし、それが不可能になった人は、パーツとしてしか顔を見られず、鼻ならば鼻の特徴を観察することによってしか、その人であるとわからなくなります。

幻肢についても書かれています。著者サックスも、崖から落ちるという事故によって左足の感覚をなくした、と訳者あとがきにあります。患者の中には、現実の足を失ったのに、まだそこにあるように感じたり、指を失ったのにまだあると感じたり……します。

過去のまま時間が止まった人がいます。その人の中では、いまだに数十年前で、自分自身は若いままなのです。新しくものを覚えられなく鳴った人も出てきます。

この本が言いたいことは何でしょう。人間の脳の不可思議さでしょうか。それとも、科学はまだ万能ではないということでしょうか。私は、日常への固執だと思います。悪い意味ではありません。ここの本に紹介されている患者だけでなく、みな、夜に眠れば明日に目覚めたいのです。数十年前のあの日ではなく、一日だけずれた明日の港に着きたいのです。

もう一冊。二人羽織の、うどんでアチッ! となるほう。こちらは、まだ途中です。

「失われた時を求めて」は、長大な小説として知られています。いつかは読みたいと思っていたので、ブックオフで売られていたのを目にした時は心の中で喜びました。

まだ第一巻の最初のほうですが、主人公は回想につぐ回想を繰り返していきます。殺人事件は起こりませんし、宇宙人も、嗜眠性脳炎の患者も登場しません。

では何が書かれているかというと、ありふれた過去の日常です。マルセル・プルーストはフランスの人なので日本人には馴染みがありませんが、もしこれが日本で、子供時代の、実家の、稲の、セミの、スイカの……と並べておけば、あたかも雛壇にいる芸能人の一人に引っかかるように、誰かは引っかかるのではないでしょうか。

高尚な説明は学者の方がしてくださるでしょうし、私は日常に焦点を当てます。目を引いたのは、主人公を含めた登場人物たちの俗っぽさでした。

主人公は少年の頃、他の少年たちと俳優や女優を順位づけします。また、離れた場所に住む主人公の叔父は、自分の部屋に色々な女性を呼んでいるので、主人公はそこに行くことを禁じられます。

生徒たちは、授業中に先生が後ろを向いている間に手紙を回します。主人公一家は土曜日には、少し早めにお昼を食べることになっていて、そうとは知らず食事中の訪問者が「早いのでは」と言ったので、説明に追われることになります。

つまりこれは……「あるある」の宝庫なのです。

海鮮名前の一家や、柑橘系の名前を持つ姉と弟がいる一家の話のようにです。とはいえ、あくまで当時のフランス流ですから差異はあることでしょう。にもかかわらず、私は(途中までですが)まさしく「失われた時」であり、あたかも「少年H」とか「少年時代」とか、そんな郷愁を見出しました。回想が大部分を占めるので、その点は「ベルセルク」っぽいな、とも感じました。

なにぶん分厚いし、某妖怪な推理小説とはまた違って人も死なないので、まず手に取ろうとするところから根気を入れなければなりませんでした。読み終えるのがいつになるのか検討もつきませんし、次に再開するのもいつになるのかわかりません(きっと、次にHDDが一杯になった時でしょう)。

面白い……というか有名なので、自慢や興味本位があることは否定しません。たぶん、本当に自慢できるようになるのは、読み終えた後でしょう。

今回は、これぐらいです。

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